白銀の墟 玄の月小野不由美

★4つ。

十二国記はどの話も、胸にぐっと迫ってくる。
その中でも、最も待ち望んでいた戴国(たいこく)の話の続き。

最初はもったいなくて少しずつ読んでいたけれど、
ラストに向かうにつれ、どうなるんだー!と一気読み。
読む前から、きっとそうなるなーと思っていた通り。

『白銀の墟 玄の月』(しろがねのおか くろのつき)は、
予想していた通り重たくて、辛くて、
それでも希望がある物語だった。
十二国記の最初の物語『月の影 影の海』も、上巻はとにかく辛くて、
それを乗り越えたうえの下巻で、どんっ!と心を打たれた。
その感覚に少し近いような印象。

戴麒(たいき)の戦いに、胸を揺さぶられる。
十二国記世界の人物であると同時に、日本の高校生でもある戴麒。
時おり描かれる、日本の高校生であった頃の描写。
それがあると、ますます近さを感じ、
その途方もない戦いに、それに挑む強さに感動する。
幼かった戴麒が、2つの世界での苦しみを越え、
この強さを身につけたのだと思うとぐっとくる。

主要登場人物に関しては、謎が残るところが多々ある。
阿選(あせん)はなぜあんなことをしたのだろう…と思うけれど、
どうやらそれは阿選自身にもはっきり分からないことらしい。

『白銀の墟 玄の月』を読む前は、
どうしてあんなことを?
そしてそれを成し遂げたのに、なぜそんな行動を?
と疑問ばかりがあった。

それに対する明確な答えは、無い。
「無い」ということが答えなのか、と、
読み進むうちに納得してしまった。

人は何かをする時、
強い気持ちもあれば、成り行きでそうなってしまった…という部分、
なんとなくそうしてしまった、といった
相反する感情が入り混じっているものではないか。
「動機は恨みです」「嫉妬です」なんて、
一言で言い表せてしまうほうがむしろ不自然なのではないか、と思う。

だから、阿選の苦しみも、少し分かってしまう気がする。
様々な感情が入り混じって、自分でもはっきり説明することができない、
そこが生々しく、人間臭さを感じる。
敵ではあるけれど、自分とまったく違うもの、とは思えないのだ。

読み終わった今は阿選ではなく、「どうして?」と
その行動の理由を知りたく思う人物がいる。
きっとその人も阿選と同様に、
様々なものが重なったうえでの行動なのだろうけれど、
まだまだ謎だから。

私はその人を、『白銀の墟 玄の月』以前の描写で
「ものの道理が分かっている」人物だと思っていた。
十二国記で王、そして人間の大切な資質として描かれているもの。

だから、その人がしたであろうことに衝撃を受けたし、哀しみを感じた。
裏切りとしか思えないその行為、それをした理由に納得したい、
納得できないならできないで哀しみと怒りをしっかり感じたい。
だけど、その心がまだ分からない、
阿選に感じた人間らしさをまだ感じられないから、
もう少しその人の話を知りたく思う。

そして、再会できた人々のその後の様子もやはり知りたい。
今年、短編集が出るという話だけど、
そのあたりが描かれているのか、楽しみに待ちたいと思う。

そんな風に、主要な登場人物たちはもちろん気になるのだけれど、
『白銀の墟 玄の月』で描かれているのは
そういった人々ばかりではない。
色々な立場の、多くの人々。

戦争や事故で犠牲が✕人、なんてあっさりと言われたりするけれど、
その人々皆ひとりひとり、
想いや苦しみや利己的な部分や夢がある、生身の人間であって。

たくさんの犠牲があって、
どうしてこんな…と思うようなひどいことがあって、
ここまで描かなくても、と思うような残酷な描写もある。
けれどそれも、読み終わってみたら
ひとつひとつ必要な描写で、
その積み重ねによって紡がれてきた
”歴史”というものを描いている、と思えてくる。

多大な犠牲があって、それは本当にひどいことで、
許されることも哀しみが消えることも無いのだけれど、
なおそのうえで力強く希望を持って生きようとする
人間の強さを感じられる。
絶望的な状況で、それでも最後まで足掻く人々。
これまでの十二国記と同じく、やっぱり胸に迫ってくる。

ラストは今までの十二国記シリーズと同じく、
歴史書の記述としてさらりと「史実」が書かれている。
こんなに大変なことがこれほどあっさりと書かれていることに驚くけれど、
逆に言えばあっさりした「史実」の裏では、多くの真剣な生があるのだ。
 
とにかく辛いし重たいし、
ラストは決してすっきりしたものではない。
けれど、読み始める前の期待通りに、
人間の歴史、弱さと強さ両方を持つ人々の真実、
そして絶望的な状況の中に含まれた希望を感じられる、
私にとってはやはり大きくて大切な物語だった。

 


『白銀の墟 玄の月』

あなたこそ、わたしが玉座に据えた王。
だが-。
18年ぶりの書下ろし新作、ついに。
戴国の怒濤を描く大巨編、開幕。

参考:「amazon」作品紹介



※ベーグルのご予約・お取り置き・冷凍便のお申込みは、TEL&FAX(070-2685-7346)のほか、
ツイッターでも承ります。


ブログ村 投票♪
↑2つのブログランキングに参加中↑
よろしければ クリックお願いします。

嘘ばっか佐野洋子

★4つ。

佐野洋子さん。
童話でもどことなく、話も挿絵もシュールで毒があって、
そこに子供の頃から妙に惹かれてた。

小学校の教科書に載っていた「おじさんのかさ」とか、
友だちの家にあって行く度に読んでいた「100万回生きたねこ」とか、

いい子になってね、って意味合いがまったく感じられない、
毒があるけど愛もある物語が印象的。

「嘘ばっか」はその最たるもの、
毒のある童話の集合体。
昔話を佐野洋子さん風にアレンジしたもの。

佐野洋子さん風、ではあるけれど、
昔話って案外、子供向きにしていないものを読むとかなり残酷だったりする。

その雰囲気のまま、
新しい、少し闇のある童話が生まれていて、
ちらちらと見える人間の暗闇が気になって仕方がない。

万人におすすめではないけれど、
佐野洋子さんの毒っ気にどこか惹かれる、
という人はきっとたくさんいるだろう。




『嘘ばっか』 (Visual Books)

おとぎ話のパロディ集。
「おとぎ話は心の傷」という
佐野洋子さんが描いた
毒と闇と、そしてやっぱり愛もあるおとぎ話。

参考:「BOOK」データベース




※ベーグルのご予約・お取り置き・冷凍便のお申込みは、TEL&FAX(070-2685-7346)のほか、
ツイッターでも承ります。


ブログ村 投票♪
↑2つのブログランキングに参加中↑
よろしければ クリックお願いします。

蜜蜂と遠雷(みつばちとえんらい)恩田陸

★4つ。

クラシック音楽はまったく知らないし、
登場人物たちのように
情熱を傾ける何かがあるわけでも、音楽の才能があるわけでも無い。
そんな人にも、
ピアノコンクールを舞台にしたこのとびきり厚い小説を
面白く読ませる恩田陸さん、すごいな、と思う。

演者それぞれの演奏の違いが言葉で見事に表せている。

クラシックは知らなくても音楽を聴くことは好きなので、
彼らの演奏を聴いてみたくなった。
天才、と呼ばれる若者たちの心情には、
なるほどこういうことを考え、感じているのか…と感心する。

その中で最も共感し応援したくなったのは、
少し年長でふつうに仕事をし
家庭を持っている高島明石だ。

クラシック音楽の世界って馴染みが無い人間からすると
選ばれし者だけがその美しさを享受できる世界、
のように見えることが度々ある。

そのクラシックの世界を描いた中で
「生活者の音楽」という視点は新鮮だし、
その音楽に希望を持てるのは素敵だ。

そして若き3人の天才たち。
彼らには、クラシック界に正直言って感じることがある
周りを締め出す高慢さが見受けられない。

自分の才能にあまり気づいていない人もいれば、
しっかり理解し、受け止め、でも奢ることなく
音楽の道を進もうとしている人もいる。

ほかにも登場人物はいるけれど、
コンクールに出場した若き天才3人と高島明石が、
彼らが奏でる音楽が魅力的だ。

クラシックを聴いてみたい…とはあまり思わないけれど、
もっともっと音楽を楽しみたい、と
蜜蜂と遠雷を読んで感じた。
あくまで聴くほうではあるけれど。




『蜜蜂と遠雷』

私はまだ、音楽の神様に愛されているだろうか?

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。
完璧な技術と音楽性を持つ青年、
長らくピアノから離れていたかつての天才少女、
仕事と家庭を持つ
コンクール年齢制限ギリギリの青年、
逝去した偉大なピアニストが
「天からのギフト」と呼んだ、
クラシックを学んだことがなく
家にピアノすら無い少年。

ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、
そして音楽を描き切った著者渾身の小説。
直木賞と本屋大賞、史上初のW受賞。

参考:Amazon 内容紹介


※ベーグルのご予約・お取り置き・冷凍便のお申込みは、TEL&FAX(070-2685-7346)のほか、
ツイッターでも承ります。


ブログ村 投票♪
↑2つのブログランキングに参加中↑
よろしければ クリックお願いします。

笹の舟で海をわたる角田光代

★4つ。

主人公の左織と、
不思議な縁からその義理の妹となった風美子。
2人は戦中に生まれて疎開を経験し、
その後の日本の移り変わりを体験してきた女性たち。

今の時代から見ると左織は考え方が古臭く、
周囲に流されてきた女性、という印象だ。
対して風美子は力強く、欲しいと思ったものを勝ち取っていく女性。
現在の女性からすると手本とすべきは風美子であり、
左織はひと昔前の女性…
という単純な図式だけで表せるものだろうか、となんとなく思う。

『笹の舟で海をわたる』。
ラストシーンで、左織の思い出の中、
風美子と思われる少女と幼い左織が
笹の舟を川に流す光景がよみがえる。

 「海までいくかな。遠いお国にいくかな。ささやくように言葉を交わした。
  あんなに頼りないんだもの、海までは無理だろうと幼い左織は思いながら、
  どこへもいけない自分を乗せたようなあの舟が、
  海をぐんぐん進むところを思い描いていた。」

人はみな結局、笹の舟で海を渡っているようなものではないか。
力強い風美子、
彼女は辛い体験をバネに
自分の手で舟を漕ごうと決意し、努力し、たくさんのものを手に入れてきた。

けれど、左織の2人の子供のうちどちらかをちょうだい、
なんて冗談めかして言うその裏に、
風美子の淋しさ、孤独を感じる。

人に少しでも軽んじられたように感じると
むきになってしまう風美子。
自分の乗っているものが笹の舟だと
風美子は十分すぎるほど知っていて、
だから外からの揺さぶりを受け流せないのではないか、という気がする。

帆を張り、櫂を持ち、それでも乗っているものは笹の舟。

一方で左織は、櫂を持とうなんて思ったことすらないように思える。
けれど、波に揺られて抗わず、
それでも決して舟から落ちない、
左織には左織の強さがあるのではないか。
だからこそ、最後に周囲に反対されても、
自分の終の棲家を決めることができたのではないか。

左織と風美子。
真逆の生き方をしているように見える2人。
左織の穏やかに生きたい気持ち、
でも風美子が近くにいて、
自分はどこか間違っているのかとふと不安になる気持ち、
分かる気がする。

けれど、どちらかが間違っているわけでも、
どちらがいい、わるい、というわけでもない。
ただ、そういう巡りあわせだというだけ。
波に抗わない強さ、
自分とはまったくちがう強さを持つ左織に
すがっていたのは風美子かもしれない。

 「この人にも私は必要なのだと左織は気づく。
  姉としてではない、あのちいさな女の子を忘れないために。
  おなかを空かせたままでいるために。」

左織と風美子だけではなく、他の登場人物も皆、
自分なりのやり方で海を渡ろうとしている。
きっとそれが人間というもので、
小説の中だけの話ではないのだろう。
  
時に櫂を持ち、時に波に身をまかせる。

左織と風美子を合わせたようなそんな生き方ができれば理想だろう。
そして、様々な人の
様々な生き方を理解できる人間になりたい。
様々な舟の漕ぎ方を尊重できる人でありたい。

難しいことだけれど、それが私の理想の笹の舟の漕ぎ方だ、と思った。




『笹の舟で海をわたる』

朝鮮特需に国内が沸く日々、
左織は風美子に出会った。
疎開先で出会っていたと話す彼女を、
しかし左織はまるで思い出せない。
その後、2人は不思議な縁から義理の姉妹となり、
風美子は人気料理研究家として
高度成長期の寵児となっていく。
平凡を望んだある主婦の半生に
戦後日本を映す長篇。

参考:「BOOK」データベース

 

※ベーグルのご予約・お取り置き・冷凍便のお申込みは、TEL&FAX(070-2685-7346)のほか、
ツイッターでも承ります。


ブログ村 投票♪
↑2つのブログランキングに参加中↑
よろしければ クリックお願いします。

ふる西加奈子

★4つ。

今まで読んだ西加奈子さんの小説は
登場人物がかなり個性的、

現実にはなかなかいないだろう、
という強烈なインパクトの持ち主たち。
(そんな人々でも、どこかほんの少し
自分や周りの人々に似ているところがある気にさせられるんだけど)

『ふる』の花しす(かしす)は、不思議なものが見える人。

西加奈子さんが書きたかったという
“いのち”にほかの人より近い人。
だから自分とは明らかにちがうんだけど、
彼女の人との関わり方は、こんな人いるかも…
というか自分もこんなところあるかも、という印象を受ける。

場の空気をなごませたくて、
自らを“オチ”にしようとする花しす。

天然、なごむ、と言われる自分に満足し、
その場の空気をやわらかいものにすることに全力を注ぐ花しす。

だから、大切な人にも一歩踏み込まず
そっと見守るのがよいのだと考え、
そんな自分を「優しい」と言われることに違和感を覚える花しす。

近い、気がする。分かる、気がする。

『ふる』は、やさしい話だ。
人は皆、最初から祝福されている、という話。

小説全体を通して、
不完全でつまずいてばかりの人々を見守る
大きな“何か”の底なしの優しさ、という、
『さくら』で感じたことをこの小説でも感じた。

同居の猫たちと
花しすにだけ見えていた、ふわふわとした白い何か。
それは曖昧な存在だけど、一人一人に必ずあり、決して離れることがない。
それこそ命で、祝福で、
だから大丈夫なんだ、と思える。

“今”がどんどん“過去”になって忘れてしまうことに不安を覚える花しす。
花しすの人生に何度も現れる人物、新田人生。

花しすと一緒に、
私も新田人生に諭され、許され、祝福してもらった。

西加奈子さんは
「わたしは、いのちのことを書きたかった」と後書きで書いている。
『ふる』だけでなく、西加奈子さんの小説はすべて、
いのちについて書かれている気がする。

西加奈子さんのやわらかな、
すべてのものを包み込み「大丈夫」と見守る視線。
小説の中で起こるできごとは強烈でも、
やわらかな視線がどの話でも感じられて、
その視線が自分にも注がれているように思えて心地いい。

どんなに辛い状況だとしても、
底なしのやさしさに、生まれながらの祝福に浸れること。
それこそ、西加奈子さんの小説の魅力ではないか、と思う。




『ふる』

池井戸花しす、28歳。
職業はアダルトビデオのモザイクがけ。
「いつだってオチでいたい」と望み、
誰の感情も害さないことにひっそり
全力を注ぐ彼女に訪れた変化とは―。
日常の奇跡を祝福する「いのち」の物語。

参考:「BOOK」データベース



※ベーグルのご予約・お取り置き・冷凍便のお申込みは、TEL&FAX(070-2685-7346)のほか、
ツイッターでも承ります。


ブログ村 投票♪
↑2つのブログランキングに参加中↑
よろしければ クリックお願いします。

あひる今村夏子

★4つ。

3編を読んで、望遠鏡を覗いているような気持ちになった。
なかなかピントが合わない望遠鏡。
覗いているうちにふと、
くっきりした情景が見えてくる。

それは知らない誰かの日常。
淡々とした中に起こる、
経験したことは無いはずだけど、
どこかで似たような思いを味わったことがある気がする、
そんな情景。

見ているうちにまたピントが合わなくなる。

登場人物たちがどうなるか全く分からないまま、
ふっと情景が切り替わる。
あ、終わりか…
と少し物足りない気もするけれど、
結末が気になる大事件が起こっているわけでもないから、
まあいいか。
でもなぜか、しばらくするとまた望遠鏡を覗いて、
どこかにピントが合わないか探してみたくなる。
そんな感じ。

あれ、終わり?って思ってしまうあっさりさ、なんだけれど、
どうしてかもう少し今村夏子さんの世界に浸りたい気もしてくる。

この、ふっと情景が切り替わってしまう
あっさりさと余韻、
長編ではどんなふうになるのか、とても気になる。




『あひる』

何気ない日常の安堵感にふとさしこむ影。
淡々と描かれる暮らしのなか、
綻びや継ぎ目が露わになる。

あひるを飼うことになった家族と
学校帰りに集まってくる子供たち。
一瞬幸せな日常の危うさが描かれた「あひる」、
ほか2編。

参考:Amazon 内容紹介


※ベーグルのご予約・お取り置き・冷凍便のお申込みは、TEL&FAX(070-2685-7346)のほか、
ツイッターでも承ります。


ブログ村 投票♪
↑2つのブログランキングに参加中↑
よろしければ クリックお願いします。
ベーグル焼いたり、本読んだり。
ベーグル屋 ここのわ
つぶやき
本のおすすめ度カテゴリー

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ