★5つ。

読んじゃうのがもったいなくて、
ずっと積読しておいた十二国記の短編集、ようやく読了。
十二国記の長編はその国の「王」を描いているけれど、
『丕緒の鳥』の主人公たちは
役人であっても国政には手の届かない位置にいる人々や、
ごく当たり前の商家の娘…つまりはごくごく、普通の人々。
ごく普通の彼らが、強く逆らえない存在である“国”や“自然”に対峙し、
非力さを痛感しながらも必死に前を向いて生きようとする姿が胸を打ちます。
以下、4編それぞれの感想。


 『丕緒の鳥』
  雑誌の読切で読了済。
  理不尽な政治に逆らうことも、民の力となることもできない、
  と苦しむ主人公・丕緒(ひしょ)。
  何もできなかった不甲斐ない自分への絶望、
  いなくなってしまってから初めて理解できた仲間の思い。
  己の不甲斐なさに苦しみながらも
  自分の仕事に必死で打ち込むことで現実と仲間の思いを受け入れ
  伝えようとする彼の姿はそのまま、
  大きな力に抗えないでいる現実の自分たちに重なるようで、
  だからラストシーンがじわりと心に染みてきます。
  御簾越しにだけど、十二国記でお馴染みの顔にも会えて嬉しいかぎり。
  「胸が痛むほど」美しい丕緒の鳥を、この目で見てみたい、と思う。

『落照の獄』
  こちらも読切で読了済。
  重い、とても重い。
  “上の人”に対し“普通の人々”は単純に
  「どうしてこうしないんだろう」と思う、
  むしろ、そうしないことに憤りを感じる。
  けれど、自分がその立場になった時、簡単にそれを決意できるだろうか。
  人の命、罪と罰、傾いた国。
  傍から見てるほど、頭で考えるほど、単純な一本道ではなくて。
  人間の苦しみ、葛藤、立場のちがう人間が分かり合うことの難しさ、
  そんなものがずしりと、真摯に描かれていて心を抉ります。
  結局、答えなんてものは出ていない。
  永遠に出ることはないのだろう。

 『青条の蘭』
  書き下ろし。
  この短編集の中で一番印象的で、一番好きな話。
  どの国のどの時代の話だろう、とドキドキしながら読んだのだけど、
  あの国の荒廃がこれほどひどかったなんて。
  救いなんて無いように見える。
  辛く哀しい、理不尽なできごとが数多く起こっていることも、知っている。
  それでも、この物語のように、奇跡は起こり得るのだと、
  誰かの真摯な思いが他の人の思いを呼び覚まし、
  伝わるはずも無いような遠い遠いところにまで届くこともあるのだと、
  確かにそう信じられる、美しく強い物語。

 『風信』
  書き下ろし。
  自分が行っていることが真の意味で人々の役に立つのかどうか、
  分からないながらもそうするしかない、不器用な人々。
  間違っていないのか、分からない。
  お前のやっていることなんて何の意味も無い、と糾弾されても反論できない。
  それでも、自分にはこれしかできない、ならばこれだけを必死でやるしかない、
  と仕事に打ち込む人間の姿は、時に滑稽で、時に愚かだ。
  だけれど、ささやかな営みが人の救いとなることが確実にある。
  不器用な彼らも、彼らに疑問を抱く人々も、
  どちらにも自分に近いものを感じるのだ。
       

「王」や有能な官吏たちのように、
国を動かし、人々に幸せをもたらすことはできずとも、
平凡な人々も、少しでも人々にとって希望であろうと必死で生きている。
時に悲惨で時に滑稽な“普通”の人々も、
人の希望となり得ることができるのだ、
哀しいこと、惨いことも起こるけれど、
美しいことや素晴らしいことも同じように起こり得るのだ、と
平凡な己を信じてみたくなる短編集。

長編とはまた違った味わいがありました。
読めば読むほど、十二国記に登場する「王」の条件、
「道理が分かっている」人とは小野不由美さん自身ではないか、と思えてくる。
どうしてこんなにも、ちがった立場の人々の心を
真に迫って描くことができるのだろう。
そしてやっぱり読めば読むほど、
長編の続きが読みたくて仕方がなくなるのです。





『丕緒の鳥』 十二国記 (新潮文庫)

「希望」を信じて、男は覚悟する。
慶国に新王が登極した。
陶工である丕緒は、
国の理想を表す任の重さに苦慮していた。
希望を託した「鳥」は、
果たして大空に羽ばたくのだろうか―
己の役割を全うすべく煩悶し、
一途に走る名も無き男たちの
清廉なる生き様を描く全4編。

参考:「BOOK」データベース

★5つ。

いしいしんじさんの物語には、いつだって優しさがあふれている。
その優しさは、大切なものを失う悲しみや、
それでも立ち上がり歩いていくたくましさ、
自分が自分であることの苦しみ、喜び、
そういったものがすべて詰まった、ほんとうの優しさだと思う。

『麦ふみクーツェ』の語り手は
「ねこ」と呼ばれる少年。
自分を「変てこ」だと感じ続けている「ねこ」には、
彼にだけ見える存在、クーツェがいた。
とん、たたん、とん、と不思議なリズムで大地をゆっくり踏んでいくクーツェ。

具体的なことは何ひとつ語らず
ただ自分のリズムで麦ふみを続けるクーツェは、
上手く周囲のリズムに乗れないねこに、
そして読者に、許しを与えてくれている。
変てこでもいいのだ、そのままで生きていていいのだ。
自分のリズムを守って、自分の音を奏でることが大切なのだ、と。

「ねこ」の周囲の人々は、みなどこか変てこ。
彼らが自分だけのリズムで歩く姿は
あまりにも真面目で、真面目すぎて、時に滑稽にすら見える。
その生き方は時に辛いけど、
みんなが違うリズムで歩んでいて、
一人ひとり違う音を出していて、それは素敵なことなのだ。
みんなが違う音を出しているからこそ、合奏は楽しく、美しくなるのだ。

 「合奏は楽しい」
 …なにかにつながっていること、
 それをたしかめたい、信じたいがために、
 音楽家はこれまで、そしてこれからも、
 楽器を鳴らしつづけるのかもしれない。
 (P459)

一人ひとりがちがうからこそ、一人ひとりが孤独だからこそ、
つながることが大切で、美しくて。
いしいしんじさんの物語には、そんな真実が優しく、そっと語られている。

自分は変てこなのではないか、みんなと足並みが揃ってないのではないか。
もしかして、みんながそんな風に感じているのかもしれない。
自分から見たら足並みが揃っているように見える、周囲の人々、
その人たちも一人ひとり、
自分は変てこだ、リズムが揃わない、と思っているのでは。

とん、たたん、とん。
滑稽でも、笑われても、自分のリズムを刻むこと。
人生における喜びも、悲しみも、喪失感も、すべてを抱えて、
ひたすらに自分の歩くべき道を歩くべきリズムで歩くこと。
『麦ふみクーツェ』には、生きるうえでの大切なこと、
生きづらく感じる人にとって1つの救い、指標となることが
描かれている気がします。

クーツェのように、ねこのように、
自分のリズムで歩いてみようか、と思える。
真面目に、滑稽なほど真面目に、
とん、たたん、とん、と。




『麦ふみクーツェ』
ある真夏の夜、ひとりぼっちで目覚めたぼくは、
とん、たたん、とん、という不思議な音を聞く。
麦ふみクーツェの、足音だった。
―音楽家をめざす少年の身にふりかかる
人生のでたらめな悲喜劇。
悲しみのなか鳴り響く、圧倒的祝福の音楽。
坪田譲治文学賞受賞の傑作長篇。

参考:「BOOK」データベース


★5つ。

『ぶらんこ乗り』に続き、いしいしんじさんの本2冊目。
まだ2冊目だけど、いしいしんじさんの描く物語には
なんて優しさが溢れているんだろう、という感想です。

嘘をつく優しさ。
だまされてあげる優しさ。
自分の哀しみを相手には一切見せず、感じさせず、
ただ相手の心を救うこと、喜びとなることだけを願い
自分の身を削ってまでつく嘘と、
知っていてもその嘘をただやわらかく受け止めること。
ほんとうの優しさって、きっとこういうものだ、と思う。

工場からの煙で星が見えない村のプラネタリウムで
生まれ育ったふたごと、ふたごを育てた泣き男。
『プラネタリウムのふたご』では
彼らや村に起こるできごとがゆっくりと描かれています。

こうなればいい…と願っていた結末にはならず、
切なくて仕方がなかった。
それでも、その切なさも苦さも含め、
この世はなんて優しさに満ちているんだろう。
哀しいできごとに出会ってしまった人々の
ほんとうの優しさに圧倒される。

 「ほんものを見る、ってのもな、むろん大切なことだよ」
 泣き男はつづけた。
 「でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、
 たったいま誰かが自分のとなりにいて、
 自分とおなじものを見て喜んでいると、
 こころから信じられることだ。
 そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」

事実か嘘か、なんてどうでもいいことなのかもしれない。
真実がそこにあるのかどうか。
それに心を打たれるか、
その気持ちを分け合える誰かがいるか。

ふたご、泣き男、老女、テオ一座の人々、猟師たち、村人たち…
切なさも苦さも飲み込んでなお自分の足でまっすぐに立ち、
決して折れない強い優しさに溢れた彼らは、
周囲や悲しいできごとに左右されたり折られたりしない
真の幸せを持っているのではないのかな。

人はみな、目には見えない6本目の指をつなぎあっている…
と本の中で語られているように、自分もまた6本目の指で
優しい人たちとつながっている、と信じられる物語です。



『プラネタリウムのふたご』
だまされる才覚がひとにないと、
この世はかさっかさの世界になってしまう-。
星の見えない村のプラネタリウムで拾われ、
彗星にちなんで名付けられたふたご。
ひとりは手品師に、
ひとりは星の語り部になった。
おのおのの運命に従い彼らが果たした役割とは。

参考:「BOOK」データベース

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

★5つ。

高山なおみさんの『たべるしゃべる』に登場していた、いしいしんじさん。

「…人は、心が動いた時、体の中に実感の固まりができる。
…『ぶらんこ乗り』でいしいさんは、
その固まりにあまりにぴったりな言葉を当てがった。
…子供のころから、私の探していた“ほんとう”が、
本から溢れ出て、寒天みたいに部屋の中を覆っていた。」

『ぶらんこ乗り』を紹介する高山なおみさんのこの感想を読んで
ぜひとも読まないと!という気持ちに。
『ぶらんこ乗り』を紹介するのに、
これこそ“ほんとう”の言葉のように思います。

今はもういない、弟のノートを読む“私”。
幼いけれど特別な存在だった弟の淋しさ、
必死でこの世に伸ばしていた手、凛とした孤独な決意。
ひらがなばかりのノートに、それらのものが溢れている。
「さみしい」「かなしい」なんて直接的な言葉はほとんどなくても。

いつの間にか、姉と同化して弟のノートを読んでいました。
弟の孤独に気づけなかった心の痛み、
その痛みを受け止める姉もまた孤独で。
だけど、弟がノートに書いた物語に登場した
ぶらんこ乗りの夫婦のように、孤独でも、一瞬でも、
また手をつなげると静かに待つ姉。
読んでいる私も姉の気持ちで、静かに弟を待っていました。

現実の世界と向こう側の世界、
どちらの物語でもなく、どちらの物語でもある。
ぶらんこに乗って2つの世界を行き来する弟。
そのノートを通して覗き込んだ向こう側の世界は
静かで、少し怖くて、少し魅力的。
読み終わった後も、向こう側の世界の風景が
自分の中にしっかりと静かに存在している気がしています。

自分自身の芯に近い部分に刺さってくる感覚がありました。
何度も読み返してしまう本になりそうです。



『ぶらんこ乗り』
ぶらんこが上手で、指を鳴らすのが得意な男の子。
声を失い、でも動物と話ができる、つくり話の天才。
もういない、わたしの弟。
―天使みたいだった少年が、
この世につかまろうと必死でのばしていた小さな手。
残された古いノートには、
痛いほどの真実が記されていた。
物語作家いしいしんじの誕生を告げる
奇跡的に愛おしい第一長篇。

参考:「BOOK」データベース

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

★5つ。

美味しいものが大好きだ!と今まで公言しておりましたが、
もっとピッタリな言葉がありました。
すなわち、「喰い意地が張っている」。

「食べる事は大好き」だけど
「決して“美食家”と言うものでは無」くて、
美味しい素材を生かしたシンプルな料理が大好きだけど
ジャンクフードも時々無性に食べたくなる。
「旺盛なのは食欲ぐらいなものだ。」
という安野モヨコさんの“食べること”に対する姿勢にまことに共感。

野菜の苦味を美味しく思う度に感じる「大人になった」という実感や、
年齢のためか食べたくても体がついていかない、という
本人にとっては悲しいけれど周りから見たら笑える悩み…。
『くいいじ』に書かれているエピソード、
分かります、分かりますとも!と
読みながら何度もうなずいてしまいました。

ただただ食べるだけの私とちがい、
“食”をお題にこれだけ面白いエッセイを
たくさん書ける安野モヨコさんってすごい。
その喰い意地に、さすがに私もここまでは無いぞ!
(…いや、同じくらい?)と、くすくす笑ってしまったり。
そんな笑える話も多いけど、じわん、と心に沁みる話もあって
色々なイメージで飽きない、という感想。
(ただし、百足の話は要注意。描写が鋭くてかなりキモチワルイ。)

安野モヨコさんは観察眼が鋭いんだな、と思います。
自分をも含めた様々なものに面白みや切なさを見つけ、
それが冷静に的確に文章になっているので
読んでいて時に面白く、時に切なくなる。
1色でシンプルに描かれたイラストもいい感じ。
美味しいものへの愛情が伝わってきます。

喰い意地が張ってるって人にバレるのは
本当はちょっと恥ずかしい。
食にあまり興味が無い人から見たら、
非常にかっこ悪いのではないか?と。

だけど好きなものは好きだから仕方ないんだよなぁ。
体が求める分だけを食べ
スッキリと気持ちよく生きたい気持ちもあるけど、
これからも自分の許容量を超えて食べては苦しがり、
「ギャル曽根になりてえ!」
と本気で呟いてしまうことでしょう。

「より美味しい物を求めてしまうのは仕方の無い事だ。
今日の御飯への感謝を忘れずに、
これからもいろいろ食べて恥をかいて行きたいと思って居る。」

と言う安野モヨコさんと同じように
「ごちそうさま」と「いただきます」の気持ちを忘れずに、
いろいろ食べて楽しんで恥をかいて行きたいなー、
行くしかないなー、と思ってます。



『くいいじ』
「グルメ」でも「食通」でもない、
「喰いしん坊」の食生活。
普通にそこらで買った物を普段通りに料理して、
ちょこっとお酒が飲めれば大満足。
その日食べる事になった物は
抵抗せずに受け入れるけど、
努力して少し美味しくなるのであればする。
旺盛なのは食欲ぐらい…。
どうにも止まらない自らの「喰い意地」を描いた、
安野モヨコ初の食べ物エッセイ集。

参考:「BOOK」データベース / 『くいいじ』まえがき

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

★5つ。

最近、書いた人の素顔がちょっと見えるような
日記式の小説やエッセイに惹かれます。
yom yom(ヨムヨム) 2009年10月号に載っていて良かった
料理研究家の高山なおみさんの日記、読んでみました。
『日々ごはん〈1〉』は、2002年2月から8月までの日記です。

“料理研究家”というと、明るくて元気、いつだって前向き。
きちんとしていて、華やかで…といったイメージがありました。
『日々ごはん〈1〉』はそんな印象を
気持ちよく崩してくれた、という感想。

やたらと呑んでは酔っ払い、休みの日は惰眠をむさぼる。
1人の食事はサッポロ1番だったり、スケベな夢を見たり、
人にはあまり言わないようなそんなことも
高山なおみさんはあっけらかんと書いています。
ちょっぴり自由奔放で、肩に力が入っていない自然な人。

料理に対する愛情、
美味しいものに対する愛情がとっても深いのがよく分かる。
高山なおみさんがさらっと作る料理は季節感に溢れていて、
野菜の美しさやお魚の艶々した感じが目に見えるよう。
頑張って作る料理じゃなく、
ちょっとだけ凝った、でも日々のごはん。
メニューを書いてあるだけで食欲がそそられます。

文章も味があってなんだかいい。
少し日本語が乱れていたりするけれど、
それがとっても瑞々しい。
人の名前や関係性は分からないことが多いけど、
高山さんが何を感じたか、なんかは
短いながらも丁寧に書かれていてよく分かります。
個人の日記だから分からないことがあって当然、という部分と
人に何かを伝えようとする部分が
心地よいバランスで、最後まで気持ちよく読めました。

高山なおみさんのHP「ふくう食堂」でも
『日々ごはん』は読めるけれど、
ちょっとした合間にちょこちょこっと読むのが楽しい。
続きもやっぱりHPより本で読みたいなあ、と思います。



『日々ごはん〈1〉』
吉祥寺にあったレストランKuu Kuuの
シェフを務めながら、取材カメラに追われ、
雑誌のレシピ作りに夜なべする。
スタッフの良きお姉さんとして人生相談にのったり
本に涙して目をはらしたりしながらも、
淡々と過ぎていく日々…。
ささやかな出来事を丁寧に拾い集めた
料理家の飾らない日常。
「おまけレシピ」もついてます。

参考:「BOOK」データベース /
出版社・著者からの内容紹介

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

★5つ。

少々遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
2010年最初の本の感想は、森見登美彦さんの
『宵山万華鏡(よいやままんげきょう)』
思いっきり季節外れですが、
華やかさがどこか新年っぽいかな、とこじつけです。

日本三大祭りの1つ、京都の八坂神社の祇園祭。
7月を通じて行われる長いお祭りのうち、出店が立ち並び、
毎年40万人もの人々が集まる最も華やかな日が7/16の宵山。
『宵山万華鏡』はその夜、現実と不思議の挟間を歩く人々を描いた
連作中篇集です。

宵山の華やかさは人が本来踏み込んではいけない世界と隣り合わせで、
だからこそ奇妙で美しく、少し淋しくて少し怖い。
話ごとにコミカルだったり怖かったりと趣がちがうけれど、
すべては同じ“宵山”という夜の中で起こるできごと。

前の話の主役が次では通行人として登場したり、
最初の話と最後の話が
おなじできごとをちがう角度から見たものだったり、と
『宵山万華鏡』全体で
“宵山”という1つの万華鏡の世界が紡ぎだされています。

奇妙な世界にするっと入っていってしまう登場人物たち。
そこの角を曲がれば、扉を開ければ、
妖しの世界にスッと行ってしまって帰って来られないような、
それでもちょっとその世界をのぞいてみたいような気分に。

祭りのキラキラした華やかさ、
馬鹿馬鹿しいことに怖ろしく真面目に取り組む
情けなくも愛おしい学生たち、
日常のすぐそばに奇妙な世界への入り口が
ぽっかりと開いているような緩やかな恐怖…
森見登美彦さんが描くエッセンス、
すべてがぎゅっと凝縮されているかのよう。

中篇どうしのつながりはもちろん
いつものように別の小説ともリンクしているのも楽しい。
現実と不思議の挟間を思う存分楽しめて、
今まで読んだ森見登美彦さんの本の中でも相当お気に入りになりました。
 
“祇園祭宵山”がどういったものかよく知らずに読みましたが、
華やかな夏祭りの雰囲気をたっぷりと楽しみました。

真冬に読んじゃったけど、宵山の季節にもう1度読みたい。
そして宵山、ぜひ行ってみたくなりました。
奇妙なものと出逢ってしまいそうで、かなりドキドキしそうだけど。



『宵山万華鏡(よいやままんげきょう)』
祇園祭宵山の京都。
熱気あふれる祭りの夜には、
現実と妖しの世界が入り乱れ、
気をつけないと「大切な人」を失ってしまう―。
幼い姉妹、ヘタレ大学生達、怪しげな骨董屋、
失踪事件に巻き込まれた過去をもつ叔父と姪。
くるくるとまわり続けるこの夜を
抜け出すことは、できるのか。

参考:「BOOK」データベース

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

★5つ。

イラストレーター・上大岡(かみおおおか)トメさんの
「飽きっぽい」という悩みに、
脳研究者・池谷祐二(いけがやゆうじ)さんが
科学的に、でもとっても分かりやすく答えてくれています。

とにかく簡単、シンプルで1-2時間くらいでサラッと読めます。
物足りなく感じる人もいるかもしれないけれど
この手の本をあまり読んだことがない、
私のような人にはうってつけ。

脳の中にある淡蒼球(たんそうきゅう)
=「やる気」を生む蒼い玉を
どうコントロールして「やる気」を出し持続していくか、
今すぐ実践できる方法が書かれています。
すぐ飽きてしまうのは自分がダメだからじゃなく、
脳の仕組みがそうなっている、
っていうのが1番うれしいポイント。

そーか、運動や勉強などなど
続かないのは自分だけじゃないし
決して自分が悪いんじゃないんだ!と
ちょっとホッとしました。

上大岡トメさんの絵がかわいくって楽しめる。
もっと詳しく脳について解説している本も
ためになって面白いけど、
『のうだま―やる気の秘密』は
ど素人が実践していくにはとびっきり分かりやすくていい!
という感想です。

実際、この本を思い出して
やる気が出なくてもムリヤリ動き出してみたら、
思った以上にがんばれました!

要点をメモ書きしておいて
いつでも見られるようにしておこうかな。
何度も読み返して指南書とすれば
とっても役立つと思います。

コツを覚えて、目指せあおだまつかい!



『のうだま―やる気の秘密』
三日坊主になってしまうのは、
脳が飽きっぽくできているから。
「やる気」を引き出すためには、脳をだまして
脳の中の淡蒼球(たんそうきゅう)を
動かさなければなりません。
続ける技術とやる気の秘密を解いた本。

参考:「BOOK」データベース

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い