★4つ。

豆腐を載せた盆を片手に、ただ立ち尽くすだけ…
というマヌケな妖怪、豆腐小僧。
1つ聞いたら1つ忘れる、ちょっとおバカさんな豆腐小僧が
様々な妖怪に出会いながら
「なぜ自分は存在するのか」という大きな謎の答えを求めて旅をする。

『豆腐小僧双六道中ふりだし』
物語仕立てにはなっているけど、
京極堂シリーズや巷説百物語シリーズのような
緻密なストーリではありません。
滑稽な物語の形を借りた
妖怪の成り立ちについての解説書、といった感想。
人々がどのように妖怪を創り上げていったのか、
妖怪たちが人間社会においてどんな役割を担っていたのか、
豆腐小僧と一緒に「へー」と思いつつ学んでいけます。

この妖怪論、京極夏彦さんのオリジナルなのかな?
妖怪論ってほかに読んだことが無いのでよく分からないけれど、
きっと豊かな知識を元に京極夏彦さん独自の解釈を加えて
しっかりと考え抜かれた妖怪論なんだろうな、と想像できます。
妖怪「滑稽達磨」が語る禅に基づいた話など、
少々難しく感じるところもあるけれど
落語風の軽い語り口ですいすいと読めます。

そして妖怪を排除してしまった現代社会に対して、
疑問を投げかけられているような気もしてきます。

「…訳の解らぬ怖いモノを、畏怖心、嫌悪感、不快感と細分化し、
更に様々な解釈を加え、それぞれに規定して、
爪を抜き牙を抜いて飼い馴らし、最後には笑い物にしてしまう-
その笑いモノこそが我等妖怪なのだ」

妖怪を単なる想像の産物として、本当にそれでいいのか?
社会においてうまく機能していた
「妖怪」というものに代わる何かを
現代の社会はまだ見つけていないのではないのか?
そんなことを考えると、
昔に返って「妖怪」を信じてみたい気になってくる。
ストーリーよりも「妖怪」そのものが興味深く思えました。



『豆腐小僧双六道中ふりだし』
「なぜ、手前は豆腐を持っているんでしょうか?」
自己の存在理由に不安を抱く妖怪「豆腐小僧」。
数々の異種妖怪に出会いながら、
自らの存在理由を求めて旅をする。

参考:Amazon / 出版社・著者からの内容紹介

★3つ。

『嗤う伊右衛門』(わらういえもん)に続き、
古典怪談に材を取ったシリーズ第2弾。

『覘き小平次』のオリジナルは
山東京伝の『復讐奇談安積沼』(ふくしゅうきだんあさかのぬま)…
だそうですが、『復讐奇談安積沼』をまったく知らず
完全に京極夏彦さんのオリジナルとして読みました。

感想としては、暗い、とにかく暗い。
『嗤う伊右衛門』では痛いほどの哀しみと美しさを感じたけれど、
『覘き小平次』読了後に残ったのは、
そこにいるだけの存在に対する薄ら寒い恐怖と嫌悪感。

複雑に絡み合った登場人物どうしのつながり、
巷説百物語シリーズでおなじみの事触れ治平の登場など、
いつもながら京極夏彦さんの世界は緻密…なんだけど、
何より小平次の気味悪さが印象深い。

なぜ、“ただいるだけ”の小平次に
恐怖と嫌悪感を感じるのだろう。

事触れ治平の言葉、
「所詮人なんか誰でもねェわさ。
俺が俺がと固執する程、確乎り(しっかり)した中味なんざァ、
誰も持っちゃねェんだよゥ」

しっかりした中味なんか持っていない、
薄々それに気づいていてもなお
“自分”があるふりをしなくては生きられない。
なのに、小平次は自分を捨て切って幽霊のように生きている。
その姿は「しっかりした中味がお前にはあるのか?」と
見る者に問いかけているようで、
そんなこと考えたくないから、考えたら生きていけないから、
だからそんなことを考えさせる小平次に嫌悪感を感じるのかも。

小平次に恐怖と嫌悪感を感じるのは、その姿に鏡のように
自分を映してしまった人なのかもしれない。
『嗤う伊右衛門』ほどのインパクトは無かったな…と思ったけれど、
自分自身の見たくない部分をまざまざと見せつけられる、
ある意味で本当に怖ろしい話かもしれません。



『覘き小平次』
死んだように生きる幽霊役者。
生き乍ら死を望む女。
小平次とお塚は押入襖の隙間からの目筋と
この上ない嫌悪とで繋がり続ける―
死霊が主役の怪談劇が、
生者が主役の愛憎劇へ。
山東京伝の名作怪談を現代に甦らせた
山本周五郎賞受賞作。

参考:出版社・著者からの内容紹介 / Amazon


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★4つ。

2009年、最後の更新です。
最後の感想も、去年から今年にかけて1番読んだ京極夏彦さんで。
泉鏡花文学賞受賞の『嗤う伊右衛門(わらういえもん)』です。

「四谷怪談」と言えば、怖い怖い幽霊・お岩さんの話。
だけど四谷怪談をベースとした『嗤う伊右衛門』は
いわゆる“怪談話”ではありません。
怖ろしいのは幽霊ではなく、人の心の暗闇。
人が抱える悲しさ、おぞましさ、
薄い幕1枚で隔たれた正気と狂気、
不幸になると分かっていながらどうにもならない人の業。
京極夏彦さんの小説を読んだ時に感じるそれらのものを
『嗤う伊右衛門』では怖ろしく強く感じました。

生真面目で不器用すぎる伊右衛門、
病気で顔が崩れても美しく正しくあり続けるお岩。
愛し合っているのに分かり合えない、
分かり合えないのに愛し合っている2人の姿は
あまりに哀しく、歪んでいて…
それゆえに、身を切られるほど痛々しく美しい。

ほかの登場人物も、それぞれに哀しい。
自分が抱えた暗闇に飲み込まれてしまった人々ばかり。
グロテスクで救いが無く、切なくて痛い。
その姿が胸に刺さるのは、誰の中にも、自分の中にも
彼らが持っていたような暗闇があるからなのでしょう。

『巷説百物語』シリーズの又市が大きな役割を果たしています。
あの又市にこんなことがあったのか、
と思いを馳せるのもまた醍醐味。
京極夏彦さんの小説はいつもながら少しずつリンクしていて、
そこがまたハマってしまう要素です。

あまりにも痛くて、「大好き!」とは言い切れないから☆4つ。
ですがインパクトと心に残る度合では☆5つ。
京極夏彦さんが描く、人であるということの哀しみが
ぎゅっと凝縮されているかのような『嗤う伊右衛門』。
最後に「嗤った」伊右衛門の姿が心に刺さります。



『嗤う伊右衛門(わらういえもん)』
生まれてこのかた笑ったこともない
生真面目な浪人、伊右衛門。
疱瘡を病み顔崩れても
凛として正しさを失わない女、岩。
幽霊よりも怪異よりも、
怖ろしいのは人の心の暗闇-。
極限の愛の物語へと昇華した「四谷怪談」。
第25回泉鏡花文学賞受賞作。

参考:「BOOK」データベース

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★4つ。

8つの短編はどれもタイトルの通り、幽かに(かすかに)怖い。

京極夏彦さんと言えば、
今より少し古い時代(または『ルー・ガルー』の近未来)を
舞台にしている、というイメージがあるので
時折り「ニート」なんて言葉が出てくると
ちょっと驚いてしまいます。
けれど、文章の美しさや間の取り方は京極夏彦さんらしい。
違和感なく読みましたが、
よく考えると長編とはだいぶ趣がちがいます。

京極堂シリーズなどの長編では、
奇妙なことが次々に起こっても
最終的には何が起こったのか解明され、
人間の闇の怖さが描かれている、という感想。
対して『幽談』に出てくる“奇妙なものごと”は
幽霊かもしれないし妖怪かもしれない。
何が起こっているのかよく分からない、
けれど確実に日常に何かおかしなことが忍び込んでいる、
分からないゆえのじわじわとした不気味な怖さ。

最も怖いのは、登場人物たちが“奇妙なものごと”を
いつの間にか受け入れてしまっていること。
自分の日常にも、さりげなく
“奇妙なものごと”が入り込んでいるかも…。

8つの話の中では「下の人」「知らないこと」が特に
日常に入り込んでくる“奇妙なものごと”の
うすら寒い怖さを感じました。
“奇妙なものごと”に魅かれ、
わざわざ自分から引き寄せられてしまう「成人」も怖い。

京極夏彦さんの長編でおなじみの緻密なストーリー、
圧倒的に迫ってくる人間の怖ろしさとはちがうけれど
じんわりとした幽かな恐怖が味わえます。



『幽談』
忍び寄る、幽かに怖ろしいものごと。
何か分からないけれど、
確実にそこにある奇妙なこと-。
8つの幽談を描いた、京極夏彦の別天地。
怪談専門誌『幽』の連載を単行本化。

参考:「BOOK」データベース

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★4つ。

『巷説百物語』シリーズ、ラスト。
時は1番古く、描かれるのは若かりし頃の又市。
すごろく売りの小悪党・又市が、御行(おんぎょう)姿となって
裏の渡世を生きるようになるまでが語られています。

いつも冷静に仕掛けをほどこしていた又市の
若く、青臭い姿が新鮮。

「-辛かろうが悲しかろうが、
人は生きててこそじゃねェのかい」

人が死なずにすむように、
生きやすくなるように行う仕掛け。
熱い心と人情を持っているからこそ、
人の残忍な部分を見続ける人生を
送ることになってしまった又市。
後の彼は感情を現すことはほとんど無いけれど、
辛くて痛い人生だったのではないかと思います。
自分のようにならないよう、
百介の前から姿を消したのだろうなあ…
と、後に又市が取った行動についてまでも考えてしまいます。

特に最後の話「旧鼠」は惨くて
読んでいて胸が痛くなるけれど、
この事件があったからこそ
又市が裏の渡世に身を投じる決心をしたのだ、
ということがよく分かります。
人の優しさと残酷さが描かれていて、又市をはじめ
両方を見続けなければならない人々の悲しさが伝わってくる。

巷説-巷(ちまた)の夢。
巷の夢を紡ぐことで、
人が少しだけ生きやすくなるための手助けをする-
それが巷説百物語。
又市がなぜ夢を紡ぎ続けていたのか、
その理由が分かる『前巷説百物語』。
1番古い話があえてシリーズのラストになっている、
この順番だからこそ心に沁みるのだという感想です。



『前巷説百物語(さきのこうせつひゃくものがたり)』
弱り目崇り目悲しい目、
出た目の数だけ損をうる、
それが憂き世の倣いごと。
出た目の数だけ金を取り、
損を埋めるが裏の顔-。
明治へ続く巷説が、
ここから始まる百物語-。

参考:「BOOK」データベース

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