★4つ。

バイトをしながら絵を描いている夏目。
その恋はいつでもまっすぐで激しい。
32歳になった彼女は、これまでの中でもとびきり激しい恋をする。
ほとんど狂気とイコールである恋を。

西加奈子さんの小説は何冊か読んでいる。
共通して、登場人物の性格が極端で
現実味には少々欠けるかもしれない、という印象。

けれど、彼らのどこかが、
自分やよく知っている人のある部分を思い切り強調したもののように思える。
ふだんは自分の目にすら触れないようにしている危険な部分を
まざまざと見せつけられているようで、
リアリティに欠けるように思える彼らにいつの間にか同化しそうになる。

『白いしるし』は夏目をはじめ、
登場人物が皆、狂気にも似た恋に囚われている。

痛々しくて哀しいけれど、同時に、人はなんて強いんだろう、とも思う。

狂気を自覚しながらもどこか自分を保ち、
たくましく生きようとする彼らが、私は好きだ。
彼らの弱さを飲み込んだ強さが、
そんな人々を見つめる西加奈子さんのまっすぐな視線が、私は好きだ。

自らの狂気飲み込み生きていく 傷つかずにはいられない恋 【感想短歌】



『白いしるし』

女32歳、独身。
誰かにのめりこんで傷つくことを恐れ、
恋を遠ざけていた夏目。
間島の絵を一目見た瞬間、
心は波立ち、持っていかれてしまう。
ひりつく記憶が身体を貫く、超全身恋愛小説。

参考:「BOOK」データベース


★4つ。

西加奈子さんの『さくら』、色々な感想を読んでみると
好き嫌いがずいぶんはっきりと分かれる物語のよう。
優しくて暖かくて好き、という意見と、むしろ不快、という意見。

自分は一読して暖かい気持ちになったので
不快という意見を初めは意外に思った。
でも、否定意見に納得できるところもある。
登場人物の性格が極端でリアリティに欠ける、
出来事があまりに悲惨すぎる、など。
確かに…と思いつつも、私自身は『さくら』になぜか惹かれる。

極端で激しい性格の登場人物たちは、なかなか現実にはいないだろう。
ただ、自分や誰かの持っている特質を
思い切り強調すると彼らのようになる気がする。
彼らの性格は、よく知っている誰かのとある部分に少し似ている。
彼らが喜び苦しむ姿は、その誰かの姿に重なる。
ある意味リアリティに欠ける人物の喜び悲しみが
なぜかとても強烈な現実味を持つ。

彼らを襲う大きな不幸。
私は本当は、登場人物があまりにも不幸になってしまう物語は
基本的には好きではない…というか、疑ってかかってしまう。
ただただ読者を泣かせるためだけに
悲惨さを強調したのではないか?と。

『さくら』の登場人物を襲う不幸は、相当痛い。
幸せだった頃の家族の姿が、とても優しいものだったからよけいに。
1人がこらえ切れずに口走る「なんで、こんなひどい」…
確かに思う、こんなにひどい目に合わせなくてもいいじゃないか、と。
そんなにひどい目に会わせる「何か」を、作者を、
きらいになっても不思議じゃない。

けれど、きらいになれない。
不幸はあまりに大きくて、けれど、
そこから再生しよう、立ち直ろうとする強さと、
それを見守る大きな「何か」と作者の底なしの優しさが感じられるから。

登場人物に「打てないボールばかり投げる」と文句を言われている、何か。
本当は、どんなボールでも受け取ってくれている、何か。
大きな「何か」は本当は、彼ら家族を優しい目でただ見つめている。
その目は、家族をつなぐ犬のサクラの無邪気な目にそのまま重なる。
サクラの、「何か」の、無邪気な底なしの優しさが、物語全体を流れている。

その底なしの優しさが、私は好きだ。
不幸は、現実の世界にあるから。
この物語以上の不幸が現実にあると知っているから。
だから、せめて小説の世界ではそこまでの不幸を見たくない、という思いと
そんな不幸を優しさで越えていこうとする人々の
強さを見ることができてうれしい、という思いと。

『さくら』、不幸と優しさと両方があって、狭間にあって。
嫌いな「泣かせるためのただただ悲惨な物語」と
一瞬思えてしまうほどの痛々しさなのだけど、
その不幸を越えようとする登場人物たちを見つめる目が
あまりにも優しくて、惹かれるのだ。




『さくら』
ヒーローだった兄ちゃんは、20歳4か月で死んだ。
超美形の妹は内に篭もり、
母は肥満化し酒に溺れ、僕も実家を離れた。
あとは、12歳の老犬「サクラ」だけ。
そんな一家の灯火が消えてしまいそうな、
ある年の暮れのこと。
「年末、家に帰ります。おとうさん」。
家出した父からの手紙は、
スーパーのチラシの裏に書かれていた―。

参考:「BOOK」データベース

★4つ。

アンソロジーの一遍として読んだ西加奈子さん、単独で読むのは初めて。

夜の繁華街で生きる人々の物語である「地下の鳩」と「タイムカプセル」、
少しつながっている2つの短編から成る『地下の鳩 』
初めて読んだ『東と西1』の「猿に会う」とはちがい、
ギリギリで生きる人間の姿が少し毒々しく描かれている、という感想。
きれいな表現じゃなくてちょっと気後れするけれど、
「みっともなくても 情けなくても 後ろ暗くても たくましく愛おしい」
という帯の言葉そのままに、
たとえ汚くても生きていく人間の力が感じられる。

吉田、みさを、そしてミミィ。
彼らに共通しているのは
平凡に幸せな道をどうしても歩めない、ということ。
落ちていくのが分かっていながらも
そうでなければ生きられない、満足できない。
そんな切なさと、ギリギリだからこその生命の輝き、
「凡人には分かるまい」というプライドと喜びを持っているだろう彼ら。
彼らを見ていると
どうしてそんなに自ら不幸になるような生き方しか選べないのだろう、と
もどかしい気持ちを感じながらも、同時にその暗い迫力に圧倒される。

彼らほどではないけれど、
自分自身もっと楽な道があるだろう、と思うことがある。
でも進めない。
その道を進んで「これで幸せなはず」と
暗示を自分に掛け続けることができない。
自分などよりずっとギリギリの、破滅寸前の道を行く彼らに、
暗い輝きと迫力を感じて、その暗さが眩しくすら思う。

ミミィの「自分に正直に嘘をついてきた」という言葉。
本当の自分そのままでは生きられなかったのだとしたら
嘘をついて平凡に暮らす道もあっただろう。
だけど、彼女は自分の1番大切なものを守るために
嘘を突き通し、暗く輝き続ける道を選んだのだ。

どうしても暗い道しか進めない彼らに、
自分に正直にあるために嘘をつき続けなければならない彼らに、
平凡ではない形だとしても、少しでも幸あれ。




『地下の鳩 』
大阪最大の繁華街、
ミナミのキャバレーで働く「吉田」と
素人臭さの残るスナックのチーママ「みさを」。
恋か何かもよく分からないまま
何かを共有する2人(「地下の鳩」)。

ミナミの名物、
みなに慕われるオカマバーのママ、「ミミィ」。
誰も知らないその心の傷、
ある夜ミミィが客に殴り掛かった理由
(「タイムカプセル」)。

賑やかな大阪を描いて人気の著者が
街の「夜の顔」に挑んだ異色作。

参考:「BOOK」データベース