★4つ。

角田光代さんの小説って、
時にくらくらするほどのリアルさを感じることがある。
4月に映画が公開される『八日目の蝉』
まさしくそういう小説でした。

ここに描かれている事件が実際に起こったら、
「信じられない」という感想を抱くだろう。
だけど、第1章の主人公・希和子は
“不可解な事件を起こした不可解な人物”では決してない。

“娘”との生活にすべてを賭けている希和子と、
何も知らない彼女の“娘”。
2人の姿は、犯罪だとか、正しくないとか、 
そういったものを乗り越えて切なく、苦しく、迫ってくる。
暗いところにそっと身を潜めているような1章前半と
小さな島の美しい風景の中で過ごす後半との対比が
あまりに鮮やかで、よけいに
美しい風景の中で暮らすこの親子を引き裂きたくない、
という思いに駆られてしまう。
この生活が一瞬でも長く続いて欲しいと
希和子とともに願ってしまわずにはいられないのだ。

そして第2章の主人公となるのは、希和子の“娘”=恵里菜。
犯罪に巻き込まれていた彼女と周囲の人々は
必要以上に美化されたり、悲劇的に描かれたりしていない。
この立場だったらきっと自分も
こんなふうに考えるだろう、感じるだろう、
というリアルさがすべての人物に感じられる。
この小説の男性たちは優柔不断で卑怯で腹立たしいけど、
それでも彼らを嫌えない女性たちがまた
妙にリアルでイヤになる。

彼女たちが抱えている
こんなはずじゃない、どうして自分がこんな目に、という思いが
タイトルの『八日目の蝉』という言葉に表れている。
ふつうは七日で死んでしまう蝉だけど、
八日目に生き残ってしまった蝉もいるだろう。
それはひどく辛いことだけど、でも、

 「ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどに
  ひどいものばかりでもないと、私は思うよ」

登場人物たちはみな、八日目の蝉として
美しくない現実を力強く生きようとしている。
『八日目の蝉』のすごさ、面白さは
衝撃的な事件をあくまでもリアルに描ききり、なおかつ、
希望を感じさせてくれるところだと思う。
読後はどこか清々しく、人間の強さを感じられた。
弱くて、惑って、それでも必死に生き続ける人間の図太さを。

自分が八日目の蝉になったら、現実から目を逸らさず
美しいものを見つめていきたい。
「どうして、こんな」と今、思っている人々が、
自分を八日目の蝉だと感じている人々が、
それでも生きてよかったと、
これだけ美しいものが見られるのだからよかったと、
そんな日が来て欲しいと心から願う。



『八日目の蝉』
逃げて、逃げて、逃げのびたら、
あなたの母になれるだろうか-。
偽りの母子の先が見えない逃亡生活、
そしてその後のふたりに光はきざすのか。
理性をゆるがす愛があり、罪にもそそぐ光があった。
第二回中央公論文芸賞を受賞した
著者初めての長篇サスペンス。

参考:「BOOK」データベース
/ 出版社・著者からの内容紹介


★3つ。

高山なおみさんの『日々ごはん』で紹介されていた
『ずぼらな青木さんの冷えとり毎日』
コピーライターの青木美詠子さんが
体の冷えと戦う様子を面白おかしく綴ったエッセイ、
という気軽なイメージでなんとなく読み始めてみたら…

…体の冷えって真剣に
取り組まなきゃいけない問題なんだ!
とゆうか私自身、
当たり前になり過ぎてさほど気にもしなくなってた
手足の冷たさも肩凝りも、冷えとりすれば解決するのか?!
…って、気がつけばわりとマジメに読んじゃってました。

しかし青木美詠子さんの毎日を真似しようと思ってみたら…
「靴下4枚履き」「服は天然素材」は
揃えるのにコストがかかりそうだし、
「毎日半身浴」は習慣化できる自信が無い。
どんなに寒い日だとしても
ぬるいビールには耐えられない!
…などなど、私にとってはけっこうハードル高し、という感想。

青木美詠子さんは体調が本当に悪かったそうなので
私とは真剣味がちがうけど、
これで「ずぼら」って言うのなら
私には冷えとりなんてムリだああ!
と実行もしないまま挫折しそうになっちまいました。

でも、無理せず、できる範囲から
実行することが大事!とも書かれてる。
それに、冷えって目に見えないうちに体を蝕んでいって
体調を崩す可能性もあるそうだから、
今のうちにささやかでも
冷えとりを意識してみるのもいいかもしれないな、
とも思いました。

そんなわけで私にとっては、
エッセイというより冷えとりの入門書。
冷えとり、まずは体を温める食べ物(根菜とか豆とか)を
もっと食事に取り入れること、
上半身の厚着をやめて下半身を温かくすること、
あたりから気をつけてみようかな。



『ずぼらな青木さんの冷えとり毎日』
10年間あーだこーだと試し掴み取った
まじめで笑える「冷えの克服記」。
「冷え」との戦いぶりから
何が効いて何が効かなかったのかまで、
全部公開しちゃいます。

参考:「BOOK」データベース


★3つ。

歌うたいCoccoの食にまつわる
真摯だけどユーモアあるエッセイ、
リズミカルな歌詞のような文章、
旅先や沖縄の風景など数々の写真。
料理レシピも載っているけれど、決して料理本では無いと思う。
Coccoの伸びやかな世界を味わえる、という感想。

「はじめに」の最初の文章からして私には軽く驚き。

 元々 食べるよりは作るほうが好き。
 与えたい気持ちが 確実に届き、誰かの胃袋を満たせる。
 目の前で 確かに "何かできる"。

作るより食べるほうが好き、
自分好みに美味しくするために料理する、
1人より分かち合ったほうがより美味しく思える。
そんな理由で料理をする私にとっては
Coccoのような愛に溢れた理由で料理する人がいる、
ということがちょっぴり新鮮。

 歌を歌って 全てが解決できればいい。
 …
 歌うたいなのだから そんなふうに生きて行ければいい。
 でも家に帰ると
 私は台所に立ちます。
 この手から 生まれたものが確かに届く
 その瞬間 やっと救われます。
 この手で 誰かを満たすことができる
 自分の体だって 満たすことができる
 その安心感で 日々の無力感を埋めるように。

Coccoは料理するのも、文章を書くのも、
それから歌を歌うことも、
すべては「愛」から行っているのだろう。
決して私のようにくいいじが張っているからではなく!

Coccoが生まれ育った沖縄の風景、
そこにいる家族や親戚、近所の人々。
その姿は伸びやかで、ゆるやかで、
南国・沖縄らしい大らかな愛と力に溢れている。
道産子の私にはその光景は少し遠いもの。
北国の美しさと力も感じているけど、
『こっこさんの台所』に現れる南国の光景は眩しく美しく、
そこに生きる人々に少々の羨望を感じてしまう。

その料理も歌も、美しく優しく、
時にあやうく思えるほど真摯で。
Coccoはいつだってまっすぐに、
彼女にとっては「こうするしかない」というところで
生きているのだろう、ということが伝わる。

心に寄り添う、というには少し遠い。
時に馴染みの無い、けれど美しい生き方に触れ、
自分の心も優しくなれるといいと思う、
そんな時に開きたい本です。



『こっこさんの台所』
生きることへの想いを
謳い上げるように綴ったエッセイ、
心と身体に沁み入る季節のオリジナルレシピ…。
写真やエッセイから伝わる、
歌うたいCoccoの“愛”のメッセージ。

参考:「BOOK」データベース


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